2012年01月16日

『あきらめない』至高の精神

近年、非常に強く感じている、人間の成長にとって一番大事な精神の一つ。

それは、『あきらめない』だと感じています。

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これは、『気持ちの切り替え』とも私にとっては言えるんです。

ただ私にとって『あきらめない』というほうが、重く響くんですね。

女性なんかは、『気持ちの切り替え』という軽やかな生き方をしていただきたいですね。

さて、この『あきらめない』がなぜ重要と感じているかと申しますと、

私の人生において、『あきらめない』で努力し続けていたら今頃こんなに素晴らしいことになっていたな、と確信できる出来事が沢山あったからです。

『あきらめ』ていた時間が人生の半分近くあったな、と。

『あきらめ』なければ、『凄い努力』をしなくてもそれなりの『成果』が出るんだな、と。

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たとえば、休日の日の朝に早く起きて様々な用事や趣味や勉強やスポーツや計画的にしたいとしますね。

でも、昼過ぎまで寝てしまったと。

そうすると、私の場合、高確率で『あきらめ』と『フテクサレ』が入ります。

ですから、その休日はその後生産的なレジャーや、将来のための努力ってものが、出来ない状態になってしまうんです。

それで、ダラダラ惰性で残りの一日を過ごす。

たとえば、一日に15時間仕事で外出している日々の中、帰ってから、1時間は将来のための資格の勉強なり、語学の勉強なり、したいとします。

でもたかだか1時間勉強したところでなんになるの?

と考えてしまう人は『あきらめ』ですね。

でもたとえ『1時間』でも、自分の手の空いた時間に勉強する『習慣』がある人間は間違いなく成長していく。

私は去年は本当に厳しい年で時間も無かったですが、移動中に英文1000文を丸暗記してしまいましたし、それ以外にも専門的な知識を沢山i pod で吸収してしまいました。

『あきらめ』なかったんですね。大体の時は。

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今度は『時間』の使い方に関する『あきらめない』ではなく、
厳しい状況の『時』の『あきらめない』の話をします。

今は無き尊敬する大叔父は太平洋戦争で陸軍で南方の戦線を戦いました。

大叔父は私の為に余生の莫大な時間を割いてくれた大恩人であります。
とても優しく私を怒るときは一度もありませんでした。

大叔父は根は善人だったそうですが、

実は、、、『鬼』だったのです。
私はそれを知ったとき信じられませんでした。

終戦間際、撤退のため生き残りをかけ行軍中、皆が負傷していました。
なにしろ味方の日本兵が気が狂ってる者が多数出てきたそうで、
少しの物音で反射的に前の行軍している味方兵士を刺してしまったり、
筆舌に尽くせない状況だったそうです。

敵も味方も昼も夜も一切油断できない状況だったそうです。

負傷兵が、『もう駄目です。』と言った人間は必ず亡くなっていったそうです。
どんなに負傷していても、『あきらめず』に最後尾を着いてきた兵士は生きて日本に帰れたそうです。

神仏を全く信仰しなかった大叔父は隊長であったため、部隊の生き残りの為に、自ら冷酷な決断を下さなければならなかったそうです。戦時下において選択の余地はありません。
それは、書くに耐える内容ではないので書きません。

終戦後、部隊と共に帰国し、ただ一つ分かった事、それが『あきらめ』た人間は必ず死んでいく。『もう駄目です。』と言った人間は必ず死んでいくということだったそうです。

大叔父はその後、戦争を深く悔い、その後の余生を世界平和運動に尽力しました。
東証一部上場企業の社長に登りつめた大叔父は、世界平和の祈り、活動こそ、自らのカルマを清算するための最短の道だと悟ったそうです。平和の為に莫大な金額を寄付しました。

決して子孫に残しませんでした。「自分で稼ぎなさい。」という厳しい教えです。
お陰で私は若い頃から現在まで経済的に非常に苦労して逞しくなれました。

大叔父は終戦後も、自らのカルマを前に、あきらめずに世界平和運動を命がけでやったのです。大叔父が何処まで埋め合わせを出来たかわかりません。ただ、戦地にて白兵戦の修羅場を生き抜いてきた大叔父がたどり着いた世界は世界平和の祈りと運動でした。

スポーツトレーニングでそれを実感します。
『駄目だ。辛い。面倒だ。あきらめる。』と自分で『決めた』時に終了のゴングは鳴り響きます。

『這ってでもやってやる。どこまでもやってやる。』という気持ちを持ち続ければ無限のエネルギーが、知らぬ間に届けられます。

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人生で100点目指して100点取れないと分かると放棄する。

こんなこと貴方の人生にもありませんか?

いつでもいつでも完璧な『成果』と完璧な『努力』が出来るわけじゃないんです。

50点でいい。半分も手に入る。素晴らしい。

疲れたら、そこで、一休みすればいい。

濃い目のコーヒー、口に含み、四角い空に語りかければいい。

ホントの星空じゃなくていい。自分の中に『宇宙』が存在しているから。

極端に走らない。これは妥協じゃないんですね。

古くからこれを仏教では『中庸の道』と説きました。

『中道』でも合ってます。

70点取り続けることが大事なんじゃないでしょうか?その地盤が。

70点取り続けているうちに100点が取れる時も出てくる。

そのうち85点取り続けることができるようになる。

最後には殆どが95点の『成果』と『努力』の日々を過ごすことが出来る筈です。

ウサギとカメなら『カメ』になりたい。


体の不自由な人が口や足で『絵』を描く。

スポーツする。

出来る範囲で最大限をする。

そこに私は『神』の姿を見ます。


80歳の人が生涯学習で何か新しいモノを学ぶ。
ピアノを独学で習得する。

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素晴らしいと思います。

永遠の生命を考えたときに、新しいものを学ぶのに遅いなんてことはないですね。

人間は老いてからの方が時間に余裕が出てくる。

その時間は『霊界』や次の人生への準備期間です。

それらで得たモノは必ず、『霊界』『神界』に行っても役立ちますし、

また肉体界に転生するときにも本人の潜在意識の中に習得した技術や努力する魂の傾向がしみ込んで生きます。

運動もそうです。

1日15分で、もの凄いトレーニングが出来ます。

体が芯から革新されるトレーニングが出来ます。

運動は『時間』ではないです。『密度』だと経験から悟りました。

15分で昇天できます。その後30分、一切動けません。

『あきらめ』ずに、その15分を創り出すだけで、

一日が変わる。人生が変わる。


親孝行だってそうです。

・・・・・・・・・・・・

でも、決して、あきらめません。

この先何年親孝行できるかわかりませんが、『あきらめない』で精一杯親孝行するんです。

自分の人生の1日のスケージュールの中で『あきらめ』のために無駄にしてた時間は凄く多いです。これが1年の中でも同じことが言えます。

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『あきらめ』と『フテクサレ』これは自分の為に一番いけないことだなと本当に痛感しています。『言い訳』をしてたらキリがありません。

何年間も人生が遅れた過去があります。

ただ、こういう個人の『苦悩』もすべて過去世の因縁の解消なんです。

『気持ちの切り替え』を瞬時に行い、ポジティブに前進したいもんですね。

これからの私は違います。

変わります。

貴方も変わってください。

心当たりがあるのなら。

人生を有意義なものにしたいですね。

忘れないように、文章にしたかった。

そして、貴方に共感して欲しかった。

今日はそんな精神の“気付き”でした。

有難うございました。


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posted by スティーブ高宮 at 18:10 | TrackBack(0) | 強い精神を得る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月12日

『夢』を叶える『最低条件』とは?

貴方は『夢』を持っていますか?

私は『夢』も『目標』も両方、沢山持っています。

『目標』って程度のものなら誰しもそれなりに努力すれば叶うんではないでしょうか?

でも、『夢』って程のものを叶えたことのある人間なんて世の中にどれだけ存在するでしょうか?

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『目標』を達成する為のステップ


1.まず、『目標』までのステップを細分化する。

2.細分化した『目標』を一つ一つクリアしていく期限を設定する。

3.『目標』を叶える為に、一日にしなければならない作業量が大体想定できる。

4.想定された作業量をノルマとして自らに課し、  計画的に毎日、若しくは週に何日と決めて、確実にこなしていく。

5.細分化された『目標』の小さな一つをクリアしていくごとに「期限に間に合ったか?」を判断基準にして、一日の作業量の想定を再検討し、修正を加えていく。

以上のようなステップが考えられる。


『夢』>『目標』と定義した時に、

『夢』なんてものは『目標』の十倍くらい大きいものではないだろうか?

すると、努力を元に実現させる事を前提に考えると

『夢』=『目標』×10

となるかもしれない。

『夢』を細分化したものが『目標』ともいえる。

つまり、なんだというと、気が遠くなる。

『目標』一つ達成するにも物凄く大変なのだから。

しかも、人生の時間は限られている。

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さあ、もう、答えは出た。

『甘え』を一切捨てよう!

それが、『最低条件』だ。

貴方が本当に真剣に『夢』を実現させたいと望むならば、

細分化した『目標』から一日の必要想定作業量が算出されるはずであるが、

それらをどんな事があってもこなし続けなければならない。

例えば、貴方の目標が、一日10時間勉強を続けなければ到底無理だと想定できたなら、

どんなに眠かろうが、続けなければならない。こなし続けるのが、『最低条件』だから。

つまり、絶対に『甘え』を捨てなければならないのだ。

『絶対やり通す』こと以外、『選択肢』を与えてはならない。

そんな『次元』じゃ、駄目なんだ。

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1mmでも『甘え』がある人間は、絶対に『夢』なんて叶わないだろう。

「今日はダルいし、体調が悪いから、やらない。」

「今日はこれくらいでよしとしよう。」

※スポーツを志してる人間は骨や関節に異常を感じたり、ケガをしたら、
完治するまで絶対に絶対に徹底的に休ませなければならないので休むのが努力義務である。


その『甘え』一日が、やがて、週に3日になり、やがて、1ヶ月に15日以上若しくは毎日になる。

そんなんで『夢』が叶うはずがない。

一日一日のノルマの作業量をこなし続けたとしても、叶う保障がない、
それくらい崇高なものが『夢』だ。

1mmも『甘え』ない。

世の中、厳しい。一人ひとりが相当な努力を皆が強いられて生きている。

それでも、『夢』を叶える人間なんて一握り。勿論、運もある。

『甘え』なければ最小の困難で壁を突き破り、人生を高めていけるが、

『甘え』る人間は、何度も、何度も、自分に負け、いつも同じ壁で立ちふさがり、

何年も、いや、一生、同じ壁、同じステージで生き続けていくのだろう・・・

しかも、結局、、、結局は努力や困難を『夢』を叶える人間と
同じくらいはしている、させられているというのに・・・

だからこそ、『押忍』の精神だね。

どんなに大変に感じても押しながら忍ぶんだね。

押すことを止めない。『夢』を叶える人は。

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ああ、私も『夢』を叶えたいよ。

えっ、叶えてないの???

そんな簡単なものじゃないでしょう。

『夢』って^^

だから、『甘え』を完全に捨てよう。

それが『最低条件』だから。

そして、日々、努力のノルマを達成し続けよう。

『人事を尽くして天命を待つ』ってこういうことなんだね。

今日は熱くなって偉そうに書いたのだが、これらは全て私自身を激励する為に書いているのだ。

今日は随分素晴らしいことを書いた自信があるので、

貴方も是非、参考にされてみて下さい。

『夢』叶えよう!!


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posted by スティーブ高宮 at 11:24| 強い精神を得る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

「気合」は痛みを凌駕するB

戦国時代の合戦へ向けてのトレーニングは剣術と、そう、「気合」のトレーニングであった。

剣術は勿論、生きるか死ぬかの異常な合戦という場では「気合」がモノをいうのだそうだ。

で、あるからして、物凄い雄たけびを上げて尋常じゃない「気合」を出すトレーニングを積んだ

そうだ。

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私は思う。

侍達がその尋常じゃない「気合」で討ち死にしていった時、神風特攻隊が戦艦にむけて玉砕して

った時、「痛み」というのはほとんど感じない「神域」とでもいうべき境地に達してたのではないだ

ろうか?

これとは別次元の話だが、人は怒っているとアドレナリンの作用もあり、「痛み」や「恐れ」

を感じにくい。

そして、私自身、『気合』が入ってるとき、肉体的痛みは殆ど感じない。軽減される。

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「気持ちを強く持つ」「気合」。

当たり前でいて、自分自身、もう一度見直したい言葉だ。

そして、今の平和な日本に感謝しなければならないと思う。

日本人は、「平和を世界に発信する」という、重要な役割を持っているからだ。

善人よ、強くなれ


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posted by スティーブ高宮 at 16:58| 強い精神を得る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月30日

「気合」は痛みを凌駕するA

なぜ「気持ちを強く持つ」と良いのか?

それは同じ過酷な状況でも、感じ方が、「辛い」から「キツいけどイケる」若しくは「何でも来い」くらいに変わるから。

例えば、大きな岩山があったとする。その中心部に金塊が埋もれている確かな情報を得た。

貴方は徹夜で全力でその岩山をハンマーで粉砕し、金塊に辿り着く。

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極限まで体を全力で使い果たすだろう。息もゼイゼイに上がるだろう。汗も大量。筋肉はパンパン。

でもその時に「辛い・・・」って思うだろうか?

いや、思わない。

自らの超強力なる意思と希望で全力で岩山を粉砕しに掛かっているからだ。

「辛い」なんて気持ちを忘れている。

「確かにキツいっちゃ、キツいけど、まだまだイケる。やるしかない!絶対に金塊を得る!」

岩山を粉砕し終わり金塊にたどり着くまで、休憩を挟むかもしれないが、エネルギーは決して尽きることを知らない。

自ら求めて困難に立ち向かう時、人は、「辛い」とは思わないし、感じない。

無我夢中で攻めるだけ。

そして、「強い気持ち」を持つ事で困難を乗り切れるだけのエネルギーが不思議と与えられる。

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もしこの岩山が大ヒット漫画(アニメ)の「カイジ」などのような強制労働の現場で現場監督にムチを持って嫌々徹夜で金塊に辿りつくまで、ハンマーで粉砕作業しなければならないとなうとどうだろう?

誰だって「辛い」し、「逃げ出したい」に決まっている。

でも百歩譲って、この岩山がそのカイジの強制労働の現場だったとして、貴方はこう思う。

「しょうがない。やるしかない・・そうだ・・本気でやればそれはそれは強靭な肉体が手に入れる事ができるだろう・・体を鍛えるのだ・・よし、全力で鍛えよう!」

と思う。

するとこの強制労働の中でさえも、活路を見出し、自ら求めて困難に立ち向かう為、すでに「強制労働」ではなくなっており、「辛い」なんてことは感じなくなるだろう。たとえ、「過酷」で「キツい」という事実は変わらないとしても。

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「辛いよ・・逃げ出したいよ・・」って思いながら何かと闘うって最高に辛いよね・・

「気持ち」さえ強く持てば精神的にも、肉体的にも全然変わってくるから不思議だよね。

一度、その時に「気合」で「体」と「気持ち」を奮い立たせて沸騰させればその後は常に全力出さなくてもいい。その流れで突破できる。

瞬時に覚悟を決め、腰に力を入れる。

その後は厳しさが5レベルとしたら8レベルくらいの「気持ち」で乗り切れる。

一度、思いっきり奮い立たせよう!




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posted by スティーブ高宮 at 17:28| 強い精神を得る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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